ドイツ人のビール魂「ビール純粋令」

ドイツ人のビール魂「ビール純粋令」

今回の登場人物

酔生夢死子(よみ:すいせいむしこ)
ライター・デザイナー時々ミュージシャン。10年会社員を務めた後、フリーランスに転向。現在は気の向くまま、思うまま、酔いと共に日々を過ごす。「できないことはできない。しない。」がモットー。

みなさん、”ビール純粋令”って聞いたことありますか?

これ、1516年にドイツで出されたビールに関する法律で、食品に関する現行法としては世界最古とされています。「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」と定めたもので、ドイツビールの礎をつくってきた法律なのです。ビールといえばドイツ!今回はそのカギともなる”ビール純粋令”について解説してゆきます。

  1. 現在とは全く違う中世のビール
  2. ビール戦争時代
  3. ついに公布!”ビール純粋令”
  4. まとめ

現在とは全く違う中世のビール

現在では「ビールにホップが入っているのはあたりまえ」と思われますが、ビール発祥の頃、ビールには様々なスパイスやハーブが使われていました。ホップはその中のひとつにすぎず、決して重要な原料ではなかったのです。この多種多様なハーブを配合して作られてビールは”グルートビール”と呼ばれ、長い間飲み続けられていました。

”グルート”とは多種多様なハーブを配合した香味料のことで、醸造用語では”grobschrot(粗いもの)”と呼ばれていたそうです。グルートという単語は、この”grob(粗い)”という言葉に由来している説もあります。

スパイスやハーブとして主に使われていたのは、ヤチヤナギやペパーミント、月桂樹など様々で、これらはビールに独特の苦味や風味を与えるだけでなく、醸造過程で雑菌の繁殖を抑え、保存性を高めるのに大切な役割を果たしていました。

当時、まだ科学的に解明されていなかったビール造りは、ベテランの職人でも酸っぱく、不出来なビールになることがよくありました。そのため、より味が濃く香りも強いビールが広く普及していました。このグルートに関わる生産と販売、つまりグルートの利権は神聖ローマ皇帝により独占されていたのですね。

ビール戦争時代

●皇帝から修道院へ

神聖ローマ皇帝が独占していたグルートの利権ですが、時代の流れにつれ、一般の領主や教会にも認められるようになっていきます。グルートの利権の移譲についての最古の記録としては、974年にドイツ国王にして神聖ローマ皇帝だったオットー2世がある教会に与えたことを記した資料が残っています。

修道院には多くの巡礼者や旅人、また貧しい人々への施しでもあったため、ビール醸造の規模は次第に大きくなってゆきました。また学問の場でもあった修道院ではビール造りの研究が進みその技術は継承され、より質の高いビールが造られるようになるのです。

現在、世界一長く続いている醸造所はドイツ、バイエルン州のヴァイエンシュテファン醸造所ですが、こちらも元々は修道院ビールを造るためのものでした。

●修道院から商人たちへ

ビールの質を向上させた修道院でのビール製造ですが、その独占時代はさほど長いものではありませんでした。中世になるとヨーロッパでは商業が盛んになり、各地で都市が発達し、経済力や発言力が増してゆきます。

1254年にはビール醸造家による初めての組合が結成されました。これは他の土地にも広がり都市、地域ごとに独自のテイストを含んだ、いわゆる”地ビール”が多く生まれました。

ビール造るからにはもちろん売りたい。各地では顧客の奪い合いも勃発し、まさにビール戦争時代でもあったわけです。

●ホップの台頭

市場向けの商業生産が盛んになるにつれ、ビールは次第に重要な産業となってゆきます。ビール醸造家はこぞって品質の良いビールを求め、様々な原料や醸造法を試行錯誤しました。その結果、特に重要視されていなかったホップが、グルートよりも風味がよく、より長く保存ができることもわかりました。

グルートには利権が絡み扱いにくかったことも、ホップが多く使われるようになった背景にはあるでしょう。しかし、ホップの苦味や爽やかさは人々を魅了し、そしてなんといっても安く手に入ったため、次第にグルートビアは姿を消し、ホップが台頭するようになりました。

●下面発酵(ラガー)の発見

15世紀初め、ドイツのアインベックとその周辺の醸造家はこれまでと全く違うビールを造り始めました。それまでのビールは上面発酵のみで、熟成のため洞窟などに貯蔵する習慣がありました。涼しい場所なら有害な細菌の増殖が抑えられたからです。

アイベックの醸造家たちはひんやりとした洞窟で冬の間、ゆっくりと低温で熟成させました。するとどうでしょう。色は透明で淡く、後口はさっぱりなビールが出来上がったのです。まさにラガーが誕生した瞬間でした。

これが下面発酵(ラガー)の始まりなのですが、まだ”酵母”という存在が発見されていなかったため、なせアイベックだけ違うビールができるのか、その理由は知られていませんでした。

下面発酵(ラガー)ってなんだっけ?という方は前に書いたこちらの記事がおすすめですよ。

ついに公布!”ビール純粋令”

●品質保持だけじゃない!?

ビール造りが盛んになればなるほど、粗悪なビールも多く造られるようになりました。ときには毒草さえ混じったものや、アルコール分を補うために酩酊感を与える植物を入れることもあったようです。

その対策として、各地で醸造指令が出されていました。そしてついに1516年4月23日、バイエルン公ヴィルヘルム4世が、「ビールには原料として大麦とホップと水だけが使用されなければならない」という内容の条例を公布し、バイエルン全体の法律となりました。

これこそが”ビール純粋令”なのです。

このリストには酵母が入っていませんが、当時まだその存在が知られていなかったためで、数百年経った酵母発見後、リストに追加されました。ただ、この法律、品質を確保するためだけのものではなく、パンの原料である小麦を確保するためのものでもありました。さらに、条例に反し小麦を原料としたビールはバイエルン公の保護下で独占的に醸造され、皇族や修道院、貴族の財政を潤していました。

こうした利権の目的もしっかりあったのですね。しかし、この法律がビールの品質を向上させたことは言うまでもなく、今でもドイツのビール造りの礎となっているのです。その後、ドイツ統一を経て1906年にはバイエルン地方だけでなくドイツ全土に対して適用されるようになり、1919年には国法と定められました。

●なぜ、「ドイツといえばラガー」なのか。

もう一つ、この法律には重要なポイントがあります。それは気温の上がる夏場(有害かもしれない微生物が活発なため)の醸造を禁止したことです。これによりバイエルンのビールはほぼ下面発酵(ラガー)に限られることとなりました。

それまで作られていたスパイス等を使用したビールの殆どは、”ビール純粋令”がドイツ全土で適用されたことにより姿を消すことになりました。

「ドイツビールといえばラガー!」というイメージは”ビール純粋令”が背景にあったからなのですね。下面発酵(ラガー)以外にどんなビールがあるのか気になる方はこちらの記事もおすすめです。

まとめ

どうでしたか?”ビール純粋令”はまさにドイツビールの魂。 現在でもドイツ国内の醸造所の多くは、ビール純粋令に基づいた醸造法でその品質を支えているのです。

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コラム 2020.06.27
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